さこです。バルカソ半島旧ユーゴスォラビアの紹介をします。バレソタイソ?知らね何それ
ユーゴスラビア連邦はバルカン半島の西半分にかつて存在した共産主義国。「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と形容された。民族がバラバラに住んでいてややこしい所ではある。第二次世界大戦以後、ソビエト連邦に属さない共産主義の独自路線の国として誕生した国が「ユーゴスラビア連邦」だが、第一次世界大戦〜第二次世界大戦までは「ユーゴスラビア王国」という、ほぼ同じ領土の王制の国家が存在していた。
この地域の別の表現としては、「南スラヴ」の地域であるとも言える。人種的に同じで、ほとんどの国は別の言語でも方言に近く会話が成立するレベルだが、それぞれの民族が独自の民族意識を持っている。大国に支配されながら歴史的に何度も対立しており、第一次世界大戦前はヨーロッパの火薬庫と呼ばれた。
ユーゴスラビア連邦の指導者チトーはカリスマで、多民族のユーゴスラビアをまとめて平和を維持したが、死後、独立の流れが本格化して長いユーゴスラビア紛争が起こる。いくつもの国が独立して残ったのがセルビアである。
領土問題は未だ残っているが(とくにコソボ)、紛争はいずれも終結し平和になっている。
ただ、旧ユーゴスラビアの国をそれなりに理解するには、こういった独立・紛争の流れの理解が不可欠である。そのため、歴史とこれらの国の関係も踏まえて旧ユーゴスラビア6カ国について見ていきたい。
<旧ユーゴスラビア 51.〜56.>
51.セルビア 旧ユーゴスラビアの中心
セルビアは旧ユーゴスラビア連邦の首都ベオグラードを擁する。ユーゴスラビア連邦の解体はセルビアから相次いで独立する形で進んだ。さらには、第二次世界大戦以前の「ユーゴスラビア王国」の方はよりセルビアを中心とした国という特色が強い。
第二次世界大戦時にナチスはユーゴスラビアを占領する。その時存在した民族主義団体「チェトニック」は「ユーゴスラビア王国」の系譜を継いだ右派で、ナチスに劣らない過激な行動を取る。対して、チトー率いる「ユーゴスラビア共産党」が結果的に後のユーゴスラビア連邦を建国する。
ユーゴスラビア紛争において、西側諸国では悪者扱いされる事が多かった。介入したNATOによる爆撃の爪痕は現在も残っている。
ドナウ川のほとりの首都ベルグラードは「白い城塞」と呼ばれ、ヨーロッパ最古の都市のひとつであり、なんども帝国に支配されているが残っている。ヨーロッパの中でも最大級の都市。第一回世界水泳大会が開かれた場所としても有名である。
紛争続きであることもあって、世界で2番目に銃の所持率が高い国(一位はアメリカ)。
エジソンのライバルで、電気ラジオを発明した「ニコラ・テスラ」はセルビア人(ただし出身はクロアチア)。Clash of clanに出てくる「かくしテスラ」の「テスラ」の語源はこの人である。
ラズベリー生産の生産量は世界一。
怪盗「ピンクパンサー」や、古代ローマの「コンスタンティヌス帝」もセルビア出身。
以下、セルビアとの関係をも軸に紹介していく。
52.モンテネグロ レイジーなセルビアの弟
モンテネグロはバルカン半島で1番人口が少ない小さい国であるが、Lazy(怠惰)な国民性、というステレオタイプがある。「モンテネグロ怠惰の十戒」や「睡眠オリンピック」というのがある。
モンテネグロ人はセルビア人と民族的に非常に似ているが、オスマン帝国時代から「モンテネグロ公国」として領土を持ち、国としてのアイデンティティを築く。ただし、2国の外交関係はとても良好である。(国連公式には)一番最近、国民投票によって独立した。
国名の「モンテネグロ」も「黒」という意味のラテン語だが、ややイタリアのルネサンスの影響を受けている。モンテネグロ人自身は自分の国のことを自国語で、「ツルナ・ゴーラ(黒い山)」と言う。
EUには加盟していないものの、旧ユーゴスラビアで(コソボを除けば)唯一ユーロを導入している国であり、ヨーロッパで1番外国投資が多い将来有望な国。次のEU加盟国候補として最有力。近年は観光に力を入れている。
日露戦争において日本に宣戦布告し、その後ユーゴスラビアに編入されたが、独立後国際法上日本と交戦状態が続いていることが問題となったことがある。
53.マケドニア(FYROM) アレクサンドロス?
バルカン半島(唯一)の内陸国マケドニアも、セルビアと仲のいい国の一つだが、他の国とのちょっとした国際関係が問題になっている。
「マケドニア」は紀元前4世紀ごろに大帝国を築いた英雄的将軍、アレクサンドリア3世を輩出した「マケドニア王国」の故地。マケドニア人は「アレクサンドロス3世の子孫」と自認しており、そこら中にアレクサンドリア大王の塑像がある。また、国旗は「アレクサンドリアの太陽」を模している。
しかし、この国の国土は「マケドニア」と呼ばれた地域の北部の4割。そのため、その名を名乗る上で周辺国家(主にギリシャ)から激しい反発があり、通称「FYROM(Former Yugoslav Republic of Macedonia)」と呼ばれていた。近年では「北マケドニア」で落ち着いたらしいが、日本などでは依然「マケドニア」と呼ばれ続けている。
民族的には東の隣国ブルガリアと非常に近く、また西のアルバニア人が1/4いる。
このような「国名問題」が存在するものの、周辺の旧ユーゴスラビアのような紛争はなく、独立においても無血で達成された。
オスマン帝国の遺産をよく保存しており、修道院・協会・要塞・モスクなどの観光資源がある。
アヘンとタバコの生産が有名で、特にアヘンは世界最高品質と言われ医療用に主にヨーロッパで利用されている。
マザーテレサの出生地。
54.クロアチア 28番目のEU加盟国
28番目として、1番最近EUに加盟したクロアチア(2019年現在)。通貨はユーロを使用していない(クロアチア・クーナ)。
鉤状の形をした国土は4つの地域に分けられる。(中央クロアチア・スラヴォニア・ダルマチア・イストニア)。ダルマチア地方はダルメシアンの故郷として知られている。
紅の豚や魔女の宅急便のモデルになった「ドブロブニク」(上画像)はアドリアの真珠と呼ばれる綺麗な街。
国民の90%はクロアチア人で、民族浄化に成功した例である。国民の大部分はカトリックである。セルビアと話し言葉はほぼ同じで意思疎通できるが、セルビアはキリル文字(д←こういうの)を使うのに対し、クロアチアはラテン系の文字を使う。
また、セルビアと最も仲が悪いのがクロアチアである。その原因は根深く、2つの世界大戦に遡る。第一次世界大戦後の「ユーゴスラビア王国」ではセルビア人が優遇され、クロアチア人は不満を募らせる。その後やってきたのがナチスで、ナチスと協力して発足したクロアチア民族の政府は「バルカンのアウシュビッツ」とも呼ばれた「ヤノセヴィッツ強制収容所」などで、セルビア人を虐殺した。対して、セルビアはチェトニック(前述、51.)が自国領内にいるクロアチア人を虐殺。
第二次大戦後、チトーのカリスマによって一時平和が訪れるも、その後のクロアチア紛争では互いに「民族浄化」「虐殺」といった血塗れた歴史が繰り返された。
ハンドボールの強豪で、イバノバリッチという選手がすごく有名らしい。
ネクタイの発祥。また、魚雷を発明した人がいる国でもある。
55.ボスニア・ヘルツェゴビナ 欧州最悪の紛争
左:ボスニア紛争で崩壊した建物(ウィキメディアコモンズを通じMikhail Evstafievより)
ボスニア・ヘルツェゴビナがセルビアからの独立に際して勃発したボスニア紛争。民族の内戦も加わり泥沼化、ヨーロッパ最悪の紛争と言われる。
首都は第一次世界大戦の発端になったサラエボ事件で有名なサラエボである。
セルビア人=東方正教 / ボスニャク人=イスラム教 / クロアチア人=カトリック
これらの三民族が三つ巴の戦争を繰り広げる。紛争の当時にできた爆発跡「サラエボの薔薇」と呼ばれるものが町に中でたくさん見られる。紛争後、クロアチア人=カトリックはボシュニャク人とクロアチア人主体の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」と、セルビア人主体の「スルプスカ共和国」という2つの構成体から成る連合国家となった。
ソースによるが、オランダ人より平均身長が高く、世界一身長が高い国。女性でも平均170以上ある。
56.スロベニア 欧州文化の三叉路
※金色になってるのがスロベニア
スロベニアはユーゴスラビアから最初に独立した国。10日間の戦争で独立を達成している(10日間戦争)。
一番北西の端にあり、バルカン半島諸国に含まれたり含まれなかったりする。(中欧のアルプス諸国と言われることがある)
ラテン系の南欧、ゲルマン系の中欧、そしてスラヴ系の東欧という3つの欧州文化圏のちょうど真ん中に位置する。ゆえに、これらの地域それぞれの影響を受けた「いいとこ取り文化」がその特徴。また、このような地理的特徴のため交通の拠点になり、資源は貧しいが、旧ユーゴスラビアの中では一人当たりのGDPが一番高い(1.8万ドルくらい)、比較的経済的に豊かな国である。EUにもクロアチアより以前に加盟している。
民族は「スロベニア」の語源通り南スラヴ系のスロベニア人。中欧のスロバキアと混同しないよう注意。
人口の少ないながら、スキー・バスケなどスポーツの強豪。
首都リュブリャナのシンボルはドラゴンで、町中にドラゴンの像がある。
(補)コソボ アルバニア人
※リサーチして改めて更新します。
民族の大部分がアルバニア人(イスラム教)で、セルビアから事実上独立している。
国連加盟国ではないが、日本は国家承認している
ユーゴスラビア紛争は非常に複雑な背景があり、簡単に説明するのは大変だったが取りあえずベストは尽くした。生々しい話も少なくなかったが、この辺を理解しないと国の違いが説明しづらかったので(東アジアの時は壮大にスル―したけど)その辺にも踏み込んだ。
次回は、バルカン半島の残りの国々の紹介をします