こんにちはさこです。
今回紹介する中部アフリカという括りの国は一定の共通の特徴があり、SADCという共同体もあります。
「バントゥ―系」というのが中部アフリカを特徴づけるもので、この地域に多くいる民族の総称です。
バントゥー語族は、サブサハラの数百ある類似の諸言語グループで、アフリカ中部〜南部の大部分を占めるもの。
中部前編 XAF採用国
112.カメルーン アフリカの蝶番
アフリカを左右でパタンと閉じると、ちょうど蝶番(ちょうつがい)になる位置にある。ただそれだけでなく、さほど大きくない国土だが多様な気候・植生を持ち「ミニアフリカ」と言われるほど。*1さらに、西アフリカと中央アフリカの間で英語圏アフリカとフランス語圏アフリカの中間でもある*2
外交が素晴らしく、周辺国は友好国ばかりである。
民族集団は275にも登るが割と紛争が少ない。キリスト教4割、ムスリム3割、土着宗教3割。
汎アフリカ主義カラーの国旗はセネガルのと若干似ている
歴史的にはドイツ植民地→フランス植民地と、ナイジェリア国境付近だけイギリス植民地と言う流れ。
113.チャド 枯れた湖
「チャド」は湖と言う意味であるが、実際には世界でもトップクラスに乾燥した国である。しかしかつては本当に湖に覆われた場所だった。南西にあるチャド湖は7千年前カスピ海に匹敵する広さで、現在のチャドの国土のほとんどを覆っていたが、急激に縮小している。このままいくと21世紀には消滅する。干上がったチャド湖の所には植物が生育する豊かな土地になっている。
民族構成はややこしい。
200以上の部族に分かれるが、スーダン系黒人が多い。アラブ系も2割いる。フランス語とアラビア語が公用語。国民の5割がイスラム教徒で、南部には非イスラム(キリスト系が多い)が集中している。
上記のような民族的相違から、2005年から2010年に内戦状態に。北部のイスラム教徒と南部のキリスト教徒で政権をめぐって紛争になる。*3
この戦争は、後半戦でトヨタ自動車を軍用に用いていたことから、「トヨタ戦争」と呼ばれる。
8世紀〜14世紀、カネム・ボルヌ帝国としてサハラ砂漠の覇者となった実は古豪である。
ルーマニアと国旗がほぼ、というか完全に同じ。
首都はンジャメナ。しりとりの切り札になる言葉である。
114.中央アフリカ 最貧国
ウィキメディアコモンズを通じHouse photo by Knudsen, Robert L. (Robert LeRoy), 1929-1989より
世界一の貧困国である。一人当たりのGDPは約650ドル(2020年現在)。
平均寿命も非常に低く、世界最低に近い。
以下歴史
1958年にフランス共同体の自治共和国になる。1965年に土着民がクーデターを起こし、独立。その際、指導した「ベデル・ボカサ」は自らを皇帝と名乗り「中央アフリカ帝国」を名乗った。大金をかけて戴冠式を行い、その経済力に見合わない豪勢さを皮肉って「黒いナポレオン」と呼ばれた。その後再びフランスが介入したり、実に5回にわたってクーデターが繰り返され、最終的に無政府状態に。今に至る。
世界一光害がない国らしい(夜空がきれい)。
115.ガボン ゴリラの密林
ゴリラが多い。
実はゴリラには2種類あり、ニシゴリラ(ローランドゴリラ)のほとんどはガボンに生息している。ヒガシゴリラ(マウンテンゴリラ)がウガンダ*4に生息している。
アフリカ大陸で最も森林率が高い(89%)国。
人口の4割を占める「ファン人」(フォン人とは別物)は、その特徴的な伝統産業の仮面が有名な民族である。平和だが同じ一族が長期政権を握っている。
OPECに加盟する産油国。産油国であるため割と豊かで、輸入したものに溢れている。
人口密度が低く、ほとんどの人は首都リーヴルヴィルに住んでいる。アフリカによくある屋台みたいなんが無いらしい。
首都リーヴルヴィルは52人のフランスの逃亡奴隷がはじめた、自由の町という意味。
一般的には「密林の聖者」シュバイツアーが医療を実施した場所として有名で、今でもガボンにはアフリカ随一の医療機関がある。
116.赤道ギニア アフリカの北朝鮮
国土をガボンに囲まれた小さな国。
石油が出るOPEC 加盟国で、一人当たりのGDPはアフリカで2番目に高いが、格差も大きい。平均値は先進国並みであるが、格差が激しく貧困は蔓延している。
独裁政治(?)が続いており観光客を歓迎せず、町での写真撮影を禁止する珍しい国。(赤道ギニアと北朝鮮くらい)。報道の自由度ランキングでも下位競争を走る。
旧スペイン領ギニア。アフリカで唯一のスペイン語圏の国である。
離島の「ビオコ島」という地域は独自の文化があり、のブビ人という民族が多くいる。どっちかと言うとカメルーンに近い。そのため独立運動があったり。
赤道ギニアという名前だが、赤道は通っていない。
117.RC(コンゴ) サプール
ウィキメディアコモンズを通じEnric Bach - Flickr: Entrevista a Mangrokoto Bayayaより
共産主義であるが、DRC(後述)よりよっぽど豊かである。RCの7倍豊かな共産主義国。
「サプール」とはコンゴおよびコンゴ民主で発達したファッションのこと。カラフルなブランドスーツを着た姿はかなりサマになっている。
首都ブラザヴィルは旧フランス領コンゴ(フランス領赤道アフリカ)の首都。コンゴ川に対面してDRCの首都キンシャサが存在し、共通の都市圏を形成している(双子都市)。*6
キリスト教が50%と多数派だが、土着宗教も50%に近く、非常に多い。
たいがいの共産主義国は、国名に「民主」とかつくが、ここは例外。*7
中部後編
118.DRC(コンゴ民主) コバルト
コンゴは日本ではなじみのない国だが、紹介できるネタはてんこ盛りである。
表題にひとこと「コバルト」について
バッテリーなどの原料になるコバルトは世界の2/3の産出量で、最近アップルが鉱山を買い占めたことがニュースになったりしている。
首都キンシャサは人口1000万のアフリカ最大都市である。
第二次コンゴ戦争は、WW2後で最大の犠牲者を出した国であった。
旧称はザイール(画像の国旗)。ザイール川流域にある広大な盆地が領土である。
数少ないベルギーの植民地のうちの1つで(旧ベルギー領コンゴ)、1番長期間かつ最大のもの*8
なかでも初期のコンゴ自由国の時代は、国王の私的植民地のもと凄惨な植民地統治が行われた。20年で人口2000万が半分になったとも。その凄惨さが明るみに出ると、国王だったレオポルド二世はベルギー史上最も嫌われた。
その後も苦難の歴史で、何度も戦争を経験する。
それが第一次コンゴ戦争(ザイール内戦)と、第二次コンゴ戦争。とくに第二次はアフリカ対戦とも呼ばれ、第二次世界大戦のちの世界最大の被害を出した戦争である。
現在でも多様な勢力による様々な紛争が続いている。
中央アフリカ共和国に次いで世界2番目の貧困国である。
アフリカ赤道付近を拠点とする背の低い狩猟採集民ピグミーは、コンゴ民主共和国に多く存在する。
119.アンゴラ 歯車と鉈
特徴的な国旗。共産主義の象徴である朱地に鎌と槌を歯車と鉈に描き換えている。個人的にセンスあると思う。
特徴的な国旗は共産主義のシンボルだが、「アンゴラ内戦」という歴史が関連する。
1975年にアンゴラは独立するが、その後の内戦(政府vsMPLA)は冷戦における東西陣営の代理戦争となった。*9
ただし特徴的なものとして、中国が西側陣営に味方した。結果としては、東側陣営が支援した政府側が勝利。しかし90年代に資本主義になる。
アンゴラの戦争が泥沼化したのは石油が出たことによる利権争いが大きな原因であった。
北の海岸沿いに小さな飛び地があり、ここは石油産出の60%以上を担う重要な場所になっている。
首都「ルアンダ」(ルワンダではない)は世界一物価が高い都市である。(マーサー.2017)原因は、産油国のため周辺国から労働者が殺到していて(需要の高騰)、内戦の影響のため自国産業がボロボロであること(供給の不安定)など。
アフリカ最大のポルトガル語圏。その昔は巨大な奴隷排出国でもあった。
中国資本の進出が大きく、人口の1%を占める。中国の石油輸入先の10%を占め、ロシアに次ぐ2番目の主要取引先になっている。郊外に中国企業が作った巨大な住宅群はゴーストタウンになっている。
*1:海岸地区、北部には砂漠地区とサバンナ、東部に熱帯雨林、中央部やや北に山地がある。
*3:もともとの政権はキリスト教を保護していた。紛争には隣国スーダンも加わり、ムスリムの反政府勢力にスーダン政府が加わった。リビア(カダフィ)も関係してるみたい。
*4:後日東アフリカ編にて
*5:https://www.google.co.jp/amp/s/gigazine.net/amp/20111023_gabon_tropical
*6:首都が双子都市になるのは世界でもここだけ。
*7:逆に「民主」とつくDRCは資本主義国である。
*8:コンゴの他には、ルワンダ、ブルンジといった小国と中国天津市の租界のみ
*9:アンゴラ内戦では南アフリカの民間軍事会社(エグゼクティブ・アウトカムズ)が戦争に加担していた事から、民間軍事会社が批判的に見られるきっかけになった。