ジャスト イン スプリエ

まっさん、さこ、やんもの3人による更新となります。タイプの違う3人の怒涛の日々をお送りいたします。

世界193ヶ国をひとことで解説 中東前編・オリエントの大国

 こんばんは。さこです。一週間空きました!今日からは中東の紹介に入ります。

 

 

 日本にいると中東は危ないところという印象が強いが、産業革命以前は文化・経済の先進地域で、世界の覇権はイスラムと言っても過言ではなかった。さらにもっと遡ると、世界の文明は「肥沃な三日月地帯」と呼ばれる中東の地域から始まった。(例えば、家畜のほとんどは肥沃な三日月地帯が発祥)

中東編はそんな歴史と現在を絡めながら見ていきたい。今回は北の方からはじめて、歴史的な存在感も大きい4か国から。できるだけ「ひとこと」では歴史的なもの、太字では政治的なものを含めた現在の立ち位置を示すようにした。

 

あと、本編に進む前にイスラム教について少し。イスラム教は7世紀ごろに生まれ、アラブの砂漠で育った宗教で、聖戦(ジハード)のような教義と布教力から瞬く間に中東一帯に普及していった。宗派が大きくスンナ派シーア派に分かれ、一般的にシーア派の方が少数で過激であると言われている。あと、ムスリムとはイスラム教徒のこと。イスラム教は奥が深く、その教義は生活から政治までに及ぶため、著者も勉強不足で説明できないことも多い点はご了承を。

 

 

〈中東前編〉4か国 (29.~32.)

29.アフガニスタン 戦乱の十字路

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ウィキメディアコモンズを通じてSpc. Daniel Love, U.S. Armyより提供

 全世界の国をアルファベット順に並べると一番目はアフガニスタン(Afghanistan)である。西にはイランやアラビア半島があり、東にはインド。古くから栄える大きな文明のちょうど間にある。そんな「文明の十字路」に位置するが、現実には「戦乱の十字路」でありつづけた(渡辺.2003)*1アフガニスタンは歴史上も、現在も、対立する大国のはざまに置かれている。現代もテロリズムや紛争が絶えない地域であることは周知のとおりだが、かつてはイギリス植民地のインド・パキスタンとロシア植民地の中央アジアの間で、2つの大帝国駆け引き(グレート・ゲームと呼ばれる)の緩衝的な役割となった場所でもある。

 宗教のマジョリティはイスラムスンナ派。目の色が綺麗なパシャトゥーン人という、ペルシャ系(30.イラン参照)の民族である。

テロ組織タリバンアフガニスタンの土着組織である。「タリバン」の意味は「学生」。日本赤軍みたいなものか。

もう一つ悪名高い(?)のは阿片の生産で、世界でも2位のミャンマーを大きく突き放した突出した生産量。

シルクロードの仏教都市バーミヤンは観光の目玉の1つ。桃のファミレス。

 

30.イラン ペルシャ

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左:ゾロアスター教のシンボル 右:ゾロアスター教の守護霊(プラヴァシ)

 イランのある場所は歴史的にペルシャと呼ばれてきた。ペルシャ絨毯やペルシャ猫のペルシャである。紀元前、イスラム教やキリスト教が生まれる前に、古代ペルシャ帝国(アケメネス朝)は中東一帯を支配する覇権として君臨した。ペルシャ戦争(ペルシヤvsギリシヤ)で敗北するまで続く。古代ペルシャを起源としたゾロアスター教(拝火教とも言う)は、現在の信者は少ないが当時はメジャーな宗教となった。その後も何度か復活するが、結果的にはイスラムの隆盛ととも「ペルシャ」は衰退していく。イラン人の多くは現在も、アラブ人ではなくペルシャ人というアイデンティティを持っている。そもそも言葉がペルシャ語。ただし、クルド人や他の民族も多く住む多民族国家である。

 現代のイランはシーア派諸勢力の盟主的なポジションになっている。1978~79年に、対米従属のもとの近代化・西欧化に反発した「イラン革命」によってイスラムシーア派の復古を果たした以後、シーア派を国教とした「イスラム共和制」という独特の政体を取っている。映画『アルゴ』は革命の時の実話を描いた。ちなみに、イラン革命は第二次石油危機の引き金にもなる。アラブの中でスンナ派シーア派は対立を続けており、とくにスンナ派の盟主的ポジションにいるサウジアラビアと対立。

産業では、高級スパイスのサフランや高級食材のキャビア(世界4位)を実は多く生産している。

 

31.イラク メソポタミア文明

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画像:ハムラビ法典に描かれるハムラビ王

 肥沃な三日月の東半分で、ティグリス川・ユーフラテス川流域の、いわゆるメソポタミアが現在のイラクである。世界四大文明の一つで、人類最初の文明が起こった場所。最初期のシュメール文明が発明したのは青銅器・1日7週制・楔形文字・職業の概念など。さらに「目には目を」のハムラビ法典を作ったバビロニア、初のオリエント統一を果たしたアッシリアなどなど。古代のイラクはすごすぎて中二的ロマンを喚起させられる。なんやかんやでその後イスラムに染まり、現代ではクウェートに侵攻した湾岸戦争(1991)で世界じゅうを敵に回してしまう。

 国民一般の宗教はシーアとスンニが6:4であるが、国家はスンニ派に傾く。なかでもサッダーム・フセインは、隣国のイラン革命によるシーア派台頭に反動して頭角を現したスンナ派の指導者である。2国の対立はイラン・イラク戦争に発展する。イラン・イラク戦争時は米国の援助を受けていたが、その後湾岸戦争を主導し、他国から独裁者として評価されるようになった。一方で石油の国有化のように、近代化に寄与したとの評価もある。その後台頭したISISの拠点の一つ(Islamic State of Iraq and Syria)となり、現在も治安は悪い。かし、文明が何度も栄えたこともあり、観光名所はたくさんある。例えば、「平和の谷」と呼ばれる世界最大の集合墓地など。安全ならば観光地として良い国である。

 

32.トルコ オスマン帝国

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 左:イスタンブールアヤソフィア

右:オスマン帝国の最大領土(ウィキメディアコモンズを通じてChambozより提供)

 現在のトルコの国土となっている半島は、「アナトリア」という(「小アジア」とも言う)。アナトリアの世界史での存在感は非常に大きい。

第一に、世界で初めて鉄を使用したヒッタイト。次に、「トロイの木馬」で滅んだトロイ。その後も、ヨーロッパとアジア(イスラム世界)のちょうど中間となる都市「コンスタンティノープル」(現在のイスタンブール)は文明の最先端であり続けた。1000年にわたってコンスタンティノープルを支配し続けた東ローマ帝国は、西洋ともイスラムとも違う異世界の進んだ文明を持っていた。その東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン帝国アナトリアを中心に東欧・イラク・エジプトまで支配した大帝国だった。コンスタンティノープルは交通・貿易の要衝として、地政学上も世界で最も重要な場所であったため、それを失った16世紀のヨーロッパ世界は、このオスマン帝国を避けて中国やインドに行くために西欧で大航海時代を始めることになる。現在もイスタンブールは、イスラム教とキリスト教文化が共存する観光スポットになっている。ちょっと掘ったら山ほど遺跡や文化財が出てくる超歴史都市。

 現在のトルコ共和国オスマン帝国第一次世界大戦後崩壊し、共和国となったもの。その時、建国の父ムスタファ・ケマルによる「トルコ革命」によって、政教分離世俗主義原則(ライクリッキと言う)を採用した、他のイスラム圏とは一線を画すやや欧州よりの国になる。アジアで最初に憲法を制定し、トルコ語にはアラビア語に換えてアルファベットを充てた。こうした近代化のしかたは日本の明治維新と通ずるものがある。

アラブとヨーロッパの文化が融合したトルコ料理は、中華・フレンチと並んで世界三大宮廷料理の一つ。ケバブ

  EU加盟申請を何度か行っているが、拒否されている。理由は「アルメニア人虐殺」の歴史認識などがあるが、詳しくはアルメニアのところで。

 

 

 

 今回は歴史を中心に存在感の大きい中東4か国を「ひとこと」で紹介してみました。次回以降中東の中編・後編と続きます!

*1:アフガニスタンー戦乱の現代史』岩波