ジャスト イン スプリエ

まっさん、さこ、やんもの3人による更新となります。タイプの違う3人の怒涛の日々をお送りいたします。

世界193ヶ国をひとことで解説 南部アフリカ編

こんにちは。さこです。今回は5か国紹介します。

今回ご紹介する(狭義の)南部アフリカはミーアキャットがいるエリアです。私自身の独自の区分に近い部分もありますがご容赦ください。存在感の大きい「南アフリカ共和国」のほか、ミニ国家のレソトエスワティニ、ナミビアボツワナを紹介します。

前置きとして2点。

まずはコイサン人種と言われる人種の存在。南西(ボツワナナミビア南アフリカ西部)に居住するコイサン人種は最初期の人類(諸説あり)とも言われています。コイサン人種は一重まぶたが有るなどアジア系と類似の特徴を持ち、コイサン語は特徴的な吸着音があります。

次に、このエリアと切り離せないものはダイヤモンドの存在。英国ケープ植民地6代首相の「セシル・ローズ」は実業家で、この地域で採掘される鉱石を美しく磨き装飾品として売り出すビジネスで成功。それが現在のダイヤモンドで、この時からの系譜を継ぐのがデビアス社になる。さらに、彼は在任中に植民地を北に広げ自らの名をとって「ローデシア」と名付けた。(前回参照)

 

 (南部アフリカ 5か国)

134.ナミビア スケルトンコースト

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rmferreiraによるPixabayからの画像

世界有数の海洋砂漠であるナミブ砂漠があるナミビア。海沿いに砂漠がある、鳥取砂丘のでかい版みたいな幻想的な風景が見られる。世界一古い砂漠でもある。スケルトンコーストとも呼ばれる。

沿岸がほとんど砂漠のため、港街が栄えず、内陸のほうに都市がある。ナミブ砂漠の内陸にはカラハリ砂漠があり、サブサハラで1番乾燥している国。人口密度もモンゴルに次いで世界で2番目に低い。

牛脂入りの泥で髪の毛をドレッドヘアみたいにするヒンバ族が有名。他内陸部にコイサン系のコイコイ人やサン人がいる。*1

主要民族としては「オヴァンボ人」が5割程度だが、多民族構成。30以上の王室がある。

様々な民族が一緒になってドイツと戦った歴史があり(1904〜1907)、2万〜10万人が殺された20世紀最初のジェノサイドと言われている事件があった。そんなことからもドイツとは縁が深く、アフリカでドイツ人が1番多い国で、3%ほどいる。

戦後一時、南アフリカに併合されるが1990年に独立。

 アフリカ最大の渓谷、アフリカ最大の塩湖がある。世界最大の隕石もある。

ダイヤモンドの生産も世界トップ10に入る。

 

135.ボツワナ アフリカの優等生

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南アフリカ共和国の北にある内陸国。フランスと同じくらいの面積で、日本より大きい。人口密度もかなり低い。

現在世界2位のダイヤモンド産出量で、かつて(1980年代)アフリカの奇跡と呼ばれるような経済発展を遂げた国。現在の経済力も一人当たりGDPで見るとモーリシャスに次いで2位または3位になる。注)国債信用度がアフリカ1高く、日本の格付けが下回った時もあり「日本の信用はボツワナ以下」という記事が出回ったことがある。

アフリカで稀な政治が腐敗していない(腐敗認識指数28位)。そのためか密漁が少なく、動物が豊かな国。

80%がツワナ人で、国名はそこからくる。公用語はツワナ語。加えて3つほどの主要民族がいる。なかでも、3%ほどを占めるコイサン系の少数民族ブッシュマン」は、人類学者の観察対象になったことで有名。注)コイサン系民族はナミビアボツワナにいる。

西部に世界最大の内陸デルタであるオガバンゴデルタがある。ほか西にはナミビアにかけてカラハリ砂漠が広がる。カラハリ砂漠に突然現れる巨大オアシスには絶滅危惧種など生物がいる。*2

 

 

136.南アフリカ アフリカ唯一のG20

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Image by Willem van Deventer from Pixabay

アフリカで唯一G20に加入している、比較的早い段階で先進国に仲間入りしたアフリカの大国。新興国としてBRICSの一角に数えられる。その背景に昔から白人が多く住んでいることがある。

住みやすい気候のため、植民地時代から「アフリカーナー」と呼ばれる白人が多く居住している。彼らによって西北部にオレンジ自由国など3つの共和国を建国され、イギリス植民地と対立してボーア戦争などに発展したこともある。南アフリカ共和国になってからも白人政権が続き、悪名高い人種隔離政策を行った。アパルトヘイト後は民族対立が問題になっている。

ダイヤモンドはもちろんほか鉱業では、クロム・プラチナの生産量世界一。

失業率が(調査機関によって異なるが)いずれも27%以上でトップ3に入る。南アフリカとその内陸のミニ国家2つ(レソトエスワティニ)は世界トップ3独占の失業率の3割弱(2018ILO)。

治安の面では世界トップクラスに危険な国、特に首都がやばい。*3

多くの人は英語かアフリカっぽいオランダ語の「アフリカーンス語」を喋る。

最大民族のズールー人(ズールー語)、コイサン系と文化的に融合したコサ人(コサ語)、レソト系(後述)のソト人、北部にいるボツワナ系のツワナ人などが居住している。

ビーフジャーキーをよく食べる文化があり、めちゃ旨い。

 

137.レソト 天空の国

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マレツャーネの滝(skeezeによるPixabayからの画像)

南アフリカ共和国に完全に囲まれている内陸ミニ国家。注)世界でバチカンサンマリノレソトしかない。

また、国土平均の標高が世界一高い国。国土全体が標高1000メートル以上。

高い標高のため寒く、雪が降りスキー場もある。

多民族国家が多いアフリカにおいて珍しい、ほとんどが先住民族のほぼ単一民族国家。人口の99%以上がソト人の、サブサハラではかなり珍しいほとんど単一民族の国である。キリシタンが9割を占める。

民族の伝統的なブランケットが有名・

 

138.エスワティニ 二頭政治(Diarchy)の王国

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モザンビークと国境を接し、南アフリカ共和国に囲まれた内陸国ガンビアに次いでアフリカの大陸で2番目に小さい。東西を山脈で囲まれた盆地。

旧称スワジランドで、一番最近国名が変わった

レソトと同様、97%がスワジ人である単一民族に近い。キリシタン8割。その政治体制が特徴的で、王とその母親の2人が最高権力者として実験を握る王政をとっている。また、王室関係の祭り儀式が有名で、youtubeでも見られる。

失業率、乳幼児死亡率、孤児率などが軒並み世界トップクラス。HIV感染率が世界一。

スワジキャンドルとよばれる伝統的なカラフルなキャンドルがお土産に人気。

 

*1:コイコイとサンでコイサン

*2:ミーアキャットもいる。

*3:立法・司法・行政の3権でそれぞれの3つの首都がある珍しいシステムをとっている。

世界193ヶ国をひとことで解説 旧ローデシア関連の国

おはようございますさこです。

今回は旧「ローデシア」の国を紹介していきます。

ローデシアはアフリカ南西で1980年まで存在していた白人政権の国で、かつては「アフリカの穀物庫」と言われ経済的にも豊かな国でした。

基本的には現在のジンバブエが旧ローデシアの地域が中心ですが、その周辺国にも一時勢力を持っていたこともあり、今回4か国をローデシア関連としてご紹介します。

 

 (旧ローデシア関係 4カ国)

133.ザンビア アフリカ一平和

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ビクトリアの滝(Nici KeilによるPixabayからの画像)

植民地時代は「北ローデシア」と呼ばれ、ジンバブエより早く独立する(1964年、東京五輪の年)。その後一度も内乱・革命のない平和な国。多民族構成のアフリカの国としては珍しく、ザンビア人もそのことを誇りに考えているらしい。アフリカ1平和な国。(世界平和度指数2018)

国内には73の部族がいる。

産業では鉱業がさかんで、エメラルドの産出では世界でも3本の指に入る。DRCからザンビアにかけて「カッパーベルト」と言われる銅の生産地帯があり、ザンビアはアフリカ1の銅生産。注)ちなみに世界で見ると南米のチリが断トツである。

 

ビクトリアの滝ザンビアにあり、滝が流れ落ちる手前を泳げる「悪魔のプール」がある。*1

ガンビアとは名前が似ているが関係ない。

 

 

134.ジンバブエ 反動的な白人排除

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2009年に発行された1000兆ジンバブエドル(ウィキメディアコモンズを通じMisodengakuより)

 

植民地時代は南ローデシアと呼ばれ、早くから入植が進む。植民地以後、白人政権の「ローデシア」により独立、白人支配が続いた。1980年に現「ジンバブエ」が建国。

ローデシア時代は農業・鉱業・工業のバランスの取れた国家だったが、政権交代後に白人農家の土地収用政策などの結果経済が混乱する。極端な政策の結果、ハイパーインフレを起こした国として有名。

独立後から37年にわたって独裁し続けた「ムガベ前大統領」は、2017年に辞任。辞任の時は世界最高齢の独裁者だった。

「ショナ人」と言われる民族が7割を占める。

タバコ産業がさかん。

現在も高い識字率を誇り、ローデシア政権以来の綺麗な街並みがある。

一方で失業率が高い。国民の70%が失業状態である(2011年)

 

136.マラウイ アフリカ大陸の滋賀県

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国土の大きな面積を西部にある「マラウイ湖」が占める、日本で言う滋賀県のような湖がアイデンティティの国。

この国の特徴であるマラウイ湖は世界でトップクラスの貯水面積(4位)を誇り、世界で最もたくさんの魚がすむ湖。「湖のガラパゴス諸島」と言われるほど、多様な魚がすむ。とくに「シクリッド」という魚は固有種を含め800種いて、ガラパゴスと言われる所以。

ボツワナなどと共に独立後一度も内戦を経験していないアフリカでは数少ない国の1つ。そのため、「Warm heart of Africa」と言われる。

旧称「ニヤサランド」といい、ブラックアフリカでは例外的に、南アフリカアパルトヘイト政権やローデシアといった、白人国家とも国交を築いていた。

しかし最貧国の1つでもある。2018年12月では、JICAの青年海外協力隊の派遣実績が世界でいちばん多い。

民族は主に「チェワ族」、チェワ語が公用語

 

 

137.モザンビーク 銃と鍬

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アフリカ大陸の東岸に沿って細長く伸びる国。

銃と鍬で共産主義を模したマークが国旗にある。銃器が国旗に含まれる珍しい国。

この国の特色は、その政治姿勢がコロコロと変わるところ。ポルトガル語圏であり、PALOPに所属している。しかし他のPALOP諸国から離れていることもあり、一時期英国連合に入ったこともある。また、共産主義も経験しておりその名残が現在の国旗にも残っている。

90年代まで内戦があり、そのため現在高い経済成長率に関わらず貧困国。モザンビーク独立戦争後の、共産主義 対 反共産主義モザンビーク内戦(1997〜92)では、100万人くらい死んでいる。現在は、両勢力は政党として残存。

あまり知られていないが美しいビーチが沢山あるリゾート地である。

織田信長に仕えた黒人侍「弥助」の出身地と言われている。

 

*1:ビクトリアの滝とビクトリア湖とは別の場所にある。

世界193ヶ国をひとことで解説 アフリカ大湖沼編

アフリカと言えばイメージするサバンナの多くは東アフリカの「アフリカ大湖沼」の地域にある。キリマンジャロタンザニアケニアの国境に。

 世界三大瀑布の一つ、ビクトリアの滝があつビクトリア湖周辺にこの6か国はある。

 

社会的には、東アフリカ共同体に加盟する国々という共通店ももつ。

ライオンキングの舞台になったのはこの辺である。特にケニアタンザニアはthe サバンナってところ。キリマンジャロがある。

 

ガリと呼ばれるやつを主食として食べる。*1

地域によって名称と、食感が若干異なる。

 

 

アフリカ大湖沼(6)

124.南スーダン 最新の独立国

 

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現代世界でトップクラスにあれている紛争地帯がスーダン南スーダンである。現在も続く紛争によって、国連加盟国で最も新しいこの国が誕生する。

北部に位置するスーダンとの違いは民族である。スーダンの紹介時もお伝えしたが、スーダンマグリブの色が強いのに対し、南スーダンブラックアフリカの色が強い。スーダンと異なりアラブ連盟には所属せず、東アフリカの連合体に所属。

平均身長195センチの少数民族ナイル系ディンカ族がいる。注) 身長が高い国はオランダ人やボスニア人。

脆弱国家ランキング1位

 

125.ケニア 東アフリカのハブ

 

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南のタンザニアと並び、この地域の中枢を担う国。マサイ族はケニアタンザニアにまたがって生活圏がある。国境にはキリマンジャロがある。

首都ナイロビは、カイロとヨハネスブルグに次ぐアフリカ第三の都市。その歴史は浅く、アフリカでも最も急速に成長した都市の1つ。そのひずみとして、都市周辺には巨大なキベラスラムがある(世界最大?)。

中国から10兆円以上の総投資がなされている国の1つ。全長480キロの鉄道敷設事業。タンザニアと並び、日本もODAで力を入れている国の1つ。円借款、技術協力が多い。

 世界史的にはホワイトハイランドと呼ばれる、その住みやすさから植民地として重宝された地域である。旧イギリス領東アフリカ

 

42の民族がおり、主要な10民族で90%ぐらいを占める。宗教はプロテスタントが5割弱、カトリックが25%弱、ムスリムが1割程度。公用語スワヒリ語と英語だが、より英語の方が広く利用されている。

ナイロビにあるキベラスラムは世界最大のスラムと呼ばれる(諸説あり)。

ラソンが強い。

 

 

126.タンザニア サバンナf:id:ksy302014:20200202230630j:plain

タンザニアは地理的・歴史的文脈から、「タンガニーカ」と呼ばれる大陸部と「ザンジバル諸島」の2つに分けられる。

タンガニーカの地域はサバンナが広がる。

ザンジバル諸島は、18世紀以降オマーン支配下に入り、イスラム圏との奴隷貿易の港になった地域。貿易商を通じてイスラム教もここから東アフリカ普及していく。この時にアラビア語と土着のバントゥー語とが融合したのがスワヒリ語である。

スワヒリ語を特に重視している国。国民はほぼ100%解することができる。ちなみに、ライオンキングのOPの「あーにゃめんなー」てやつはバントゥー語で、「ハクナマタタ」はスワヒリ語

また、国土全体でみてもイスラムの影響が強く、人口の35%がムスリムザンジバルではほぼ100%ムスリム

他はキリスト教が30%、土着宗教が35%。

東のコンゴ民主共和国との国境にある縦に細長い湖は、ビクトリア湖に次ぐアフリカ2位の広さ、バイカル湖に次ぐ世界2位の深さを誇る湖。

旧首都のダルエスサラームは今回の地域圏での最大都市。

キリマンジャロコーヒーはタンザニア産のコーヒー一般を指し、主要輸出品になっている。タンザナイトというタンザニア独特の宝石がある。

ドイツ領東アフリカ

 

ザンジバルにはアラブ人、アラブ人の混血が多く住む。「タアラブ」というジャンルの音楽が発祥し、東アフリカで流行している。

日本がODAでの金銭援助においてアフリカで力を入れている国(累積、今年度の無償資金援助はサブサハラアフリカ1)エジプト除く

 

127.ウガンダ アフリカ随一の飲兵衛

 

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画像:ワラギ(ウィキメディアコモンズを通じPeter bより)

 

ウガンダ人は酒が好きで、ワラジと呼ばれる密造酒を飲む

数年前まではアフリカで突出して酒の消費量が多かった。データソースによって揺らぎがあるので、現在はちょっと変わった可能性あり。

キリスト教信者が85%(カトリックプロテスタント半々)。ただ、土着の呪術信仰があり、アルビノや子供の臓器が販売されたりしてるらしい(諸説あり)。

ニシゴリラがいるガボンに対し、「ヒガシゴリラ」といわれるゴリラがいる、数少ないゴリラの生息地。

マウンテンゴリラの保護地区のため政府に土地を追い出された先住民のドキュメンタリーVICEで見られる。

 

128.ルワンダ ホテル・ルワンダ

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小さい国土の内陸国だが、人口密度がアフリカ1高い。

その凄惨な歴史でルワンダは有名である。

ブルンジルワンダは、コンゴとともにベルギー領コンゴを構成。その後、タンザニアとともにドイツ領東アフリカを構成したことともある。

フツ族ツチ族の違いは本来ほとんどなが、ベルギーの植民地統治の上で明確な区別がなされた。ツチ族の方が支配階級とされ、1990年代のルワンダ虐殺にて50万人以上殺される。公用語が4つ(英語・フランス語・スワヒリ語・キニやルワンダ語)あり、多言語話者が多い。

男女格差が小さく、2018年はジェンダーギャップ指数が低く世界6位。北欧に次ぐ数字であった。その理由として、内戦による人口減少から女性を積極的に活用したことがある。その結果、国会議員の6割以上が女性で、議員の女性比率は世界一となっている。

キリスト教が9割近く、カトリックプロテスタントが半々で、アベンチスト教会が1割。

 

129.ブルンジ ルワンダの兄弟

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ルワンダブルンジの国境 PYCRYLを通じて(United States. Central Intelligence Agency.United States. Department of State. Office of the Geographer.)より。

 

ルワンダのすぐ南にあるルワンダとは兄弟のような小さな内陸国。人口密度もルワンダに次いで高い。

貧困度では、ルワンダ(20位)に対しブルンジ(3位)の方が深刻である。一人当たりのGDPは818ドル。(2018)

言語事情もルワンダと類似で(公用語はフランス語とキルンディ語)、多言語話者が多い。

世界でもワーストクラスの最貧国で、GDPルワンダの1/3程度。

言語(ルンディ語)はルワンダ語と意思疎通できる。

キリスト教が大半だが、カトリックが若干優勢。

人生満足度指数や都市化率が世界で最も低い。気になる方、データソースはググってください(笑)。

 

*1:以前どっかで紹介した(と思う)フフと似ている。主にトウモロコシ粉を原料としている違いがある。

世界193ヶ国をひとことで解説 アフリカの角編

 

こんにちは、さこです。

今回の括りは「アフリカの角」と言われるエリアです。

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ここです。

アフリカ大陸東部で、角みたいになっている地域。

 

歴史的にも現在も、エチオピアの存在感が大きく、他3国も少なからず政治・経済でその影響を受けている地域です。

数少ない旧イタリア植民地の、イタリア領東アフリカイタリア領ソマリランドがあった地域でもある。*1

 

(アフリカの角 4カ国)

120.エチオピア 世界最古の王室

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皇帝を示す王冠したライオン

 

一昔前まではマラソンランナー「アベベ」と紛争による「貧困」のイメージを持っている人も多い。しかし、現代のエチオピアは世界第二位の経済成長率*2をとげる大国で、人口もアフリカで2番目に多い。

さらに首都アディスアベバは、アフリカ連合が本部を置くアフリカの政治的首都と言われている。EUブリュッセル的ポジションである。

加えてエチオピアは、歴史的にはより存在感が大きい国である。まず先史時代において、人間が最も早く定住した場所ともいわれている(諸説あり)。*3

また最近まで数千年続いた世界最古の王室があった。オベリスクなど、アフリカで最も世界遺産が多い。

近代においても唯一植民地になっておらず、*4

ブラックアフリカで自国言語が公用語として運用されている唯一の国でもある。独自の文字もある。

 

エチオピア人はセムのルーツをもつクレオパトラ的な顔の人が多く、ソロモン王の子孫とも言われている。内訳として80の民族がおり、それぞれは全く違う言語2グループがある。さらに9つの民族別地域があり、それぞれ一定の自治権をもつ。

宗教は6割が由緒正しいキリスト教エチオピア正教」を信仰している。黒人のユダヤ人がいる唯一の国でもある。

 

その他さまざま文化的にユニークな国。エチオピアのカレンダーは7年と3カ月遅れていたり、毎月30日っだったり独自のものを使う。

下唇に巨大な皿をはめ込む少数民族のムルシ族も有名。

 

 

121.エリトリア 報道の自由度ワースト

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紅海沿いにエチオピアの沿岸を覆った国土が特徴の国。紅海に広く接しているものの、海岸砂漠になっており海岸沿いの居住者は少ない。首都も内陸にある。

エリトリア独立戦争を経て1961年に独立。その経緯からかエチオピアと仲悪い。一方民族や言語、文化までエチオピアと類似している

政治が混乱していて西洋マスコミからは「アフリカの北朝鮮」とか言われたりする。一党独裁体制で孤立している。報道の自由度ランキングで最下位である(2020年)。

この国の徴兵制度は、男女かかわらず徴兵される。

医療は割と発達しているが貧しい。

エチオピアのように、地味にオベリスクがいっぱいある。

 

122.ソマリア 海賊

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国家体制が機能していない失敗国家と言われ、スーダン南スーダンと競って脆弱国家ランキングで世界1位の常連。グーグルで検索すると「ソマリア 北斗の拳」と出てくる。世界ではソマリアだけ190X年らしい。

ソマリア内戦では推定3万人の死者が出て、いくつもの独立勢力と海賊がからんで泥沼化した。事実上の統治は、(公式政府の)ソマリア連邦共和国の施政圏内は南部のみで、残りはソマリランドプントランド・ほか幾つかの独立を主張する勢力によって統治されている。

アラブ連邦(中東編を参照)に所属するイスラム系の国のなかで、1番黒人が多い。そもそもアラブ色は薄い。カラフルな民族衣装が特徴的。

15歳以上の女子割礼の割合が世界一高く、98%が受けていると言われている。

 

123.ジブチ 軍事拠点の小国

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地学的に特徴的な場所で、アラビアプレート・アフリカプレート・ソマリプレートの3つのプレートの境界で、アフリカ大地溝帯の始点である。特徴的な気候を持ち世界一暑い国 とも言われている。エチオピア国境の「アッベ湖」は火星みたいな風景が見られる。

また地政学的には、紅海の出口にあり、世界的な交通の要衝。小国でありながらアフリカ・日本・アメリカよりに軍事拠点や補給地して利用されている。中国も建設中。

中国からは、10兆円以上の総投資がされている国の1つ。その結果隣国のソマリアエリトリアと異なり安定した経済成長をしており、サービス産業が発達。東アフリカのドバイを目指している。

一方で公務員と政治家の腐敗度指標である「腐敗認識指数」が世界で最も低く(政治腐敗が深刻)、政府の機能が脆弱。失業率が5割にものぼる。

 

エリトリアに海岸をブロックされているエチオピアにとっては港とのコネクションで、アディスアベベとつながる鉄道を作っている。

家畜としてのラクダの飼育数世界一。

 

 

 

では、次回で会いましょう。

 

*1:こことリビアだけ。

*2:実質GDP成長率は2017年で11%、紛争からの復興を遂げるリビアを除いた事実上世界一の割合。成長率はここ10年間コンスタントに10%を超えており、日本の高度経済成長に匹敵する伸び率である。

*3:最初の人類?ルーシー

*4:一時期イタリアにより支配されるが、激しく抵抗し植民地と言うほど長くは続かなかった。そのため、タイとともに植民地にされなかった国とも言われる。

世界193か国をひとことで解説 中部アフリカ編

こんにちはさこです。

 

今回紹介する中部アフリカという括りの国は一定の共通の特徴があり、SADCという共同体もあります。

「バントゥ―系」というのが中部アフリカを特徴づけるもので、この地域に多くいる民族の総称です。

バントゥー語族は、サブサハラの数百ある類似の諸言語グループで、アフリカ中部〜南部の大部分を占めるもの。

 

 

 中部前編 XAF採用国

112.カメルーン アフリカの蝶番

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アフリカを左右でパタンと閉じると、ちょうど蝶番(ちょうつがい)になる位置にある。ただそれだけでなく、さほど大きくない国土だが多様な気候・植生を持ち「ミニアフリカ」と言われるほど。*1さらに、西アフリカと中央アフリカの間で英語圏アフリカとフランス語圏アフリカの中間でもある*2

 

外交が素晴らしく、周辺国は友好国ばかりである。

民族集団は275にも登るが割と紛争が少ない。キリスト教4割、ムスリム3割、土着宗教3割。

汎アフリカ主義カラーの国旗はセネガルのと若干似ている

歴史的にはドイツ植民地→フランス植民地と、ナイジェリア国境付近だけイギリス植民地と言う流れ。

 

113.チャド 枯れた湖

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「チャド」は湖と言う意味であるが、実際には世界でもトップクラスに乾燥した国である。しかしかつては本当に湖に覆われた場所だった。南西にあるチャド湖は7千年前カスピ海に匹敵する広さで、現在のチャドの国土のほとんどを覆っていたが、急激に縮小している。このままいくと21世紀には消滅する。干上がったチャド湖の所には植物が生育する豊かな土地になっている。

 

民族構成はややこしい。

 200以上の部族に分かれるが、スーダン系黒人が多い。アラブ系も2割いる。フランス語とアラビア語公用語。国民の5割がイスラム教徒で、南部には非イスラム(キリスト系が多い)が集中している。

上記のような民族的相違から、2005年から2010年に内戦状態に。北部のイスラム教徒と南部のキリスト教徒で政権をめぐって紛争になる。*3

この戦争は、後半戦でトヨタ自動車を軍用に用いていたことから、「トヨタ戦争」と呼ばれる。

8世紀〜14世紀、カネム・ボルヌ帝国としてサハラ砂漠の覇者となった実は古豪である。

 

ルーマニアと国旗がほぼ、というか完全に同じ。

首都はンジャメナ。しりとりの切り札になる言葉である。

 

 

114.中央アフリカ 最貧国

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ウィキメディアコモンズを通じHouse photo by Knudsen, Robert L. (Robert LeRoy), 1929-1989より

世界一の貧困国である。一人当たりのGDPは約650ドル(2020年現在)。

平均寿命も非常に低く、世界最低に近い。

 

以下歴史

1958年にフランス共同体の自治共和国になる。1965年に土着民がクーデターを起こし、独立。その際、指導した「ベデル・ボカサ」は自らを皇帝と名乗り「中央アフリカ帝国」を名乗った。大金をかけて戴冠式を行い、その経済力に見合わない豪勢さを皮肉って「黒いナポレオン」と呼ばれた。その後再びフランスが介入したり、実に5回にわたってクーデターが繰り返され、最終的に無政府状態に。今に至る。

 

世界一光害がない国らしい(夜空がきれい)。

 

115.ガボン ゴリラの密林

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ゴリラが多い。

実はゴリラには2種類あり、ニシゴリラ(ローランドゴリラ)のほとんどはガボンに生息している。ヒガシゴリラ(マウンテンゴリラ)がウガンダ*4に生息している。

アフリカ大陸で最も森林率が高い(89%)国。

 

人口の4割を占める「ファン人」(フォン人とは別物)は、その特徴的な伝統産業の仮面が有名な民族である。平和だが同じ一族が長期政権を握っている。

 

 

OPECに加盟する産油国産油国であるため割と豊かで、輸入したものに溢れている。

人口密度が低く、ほとんどの人は首都リーヴルヴィルに住んでいる。アフリカによくある屋台みたいなんが無いらしい。

*5

首都リーヴルヴィルは52人のフランスの逃亡奴隷がはじめた、自由の町という意味。

 

一般的には「密林の聖者」シュバイツアーが医療を実施した場所として有名で、今でもガボンにはアフリカ随一の医療機関がある。

 

116.赤道ギニア アフリカの北朝鮮

 

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国土をガボンに囲まれた小さな国。

石油が出るOPEC 加盟国で、一人当たりのGDPはアフリカで2番目に高いが、格差も大きい。平均値は先進国並みであるが、格差が激しく貧困は蔓延している。

独裁政治(?)が続いており観光客を歓迎せず、町での写真撮影を禁止する珍しい国。(赤道ギニア北朝鮮くらい)。報道の自由度ランキングでも下位競争を走る。

 

旧スペイン領ギニアアフリカで唯一のスペイン語圏の国である。

 

離島の「ビオコ島」という地域は独自の文化があり、のブビ人という民族が多くいる。どっちかと言うとカメルーンに近い。そのため独立運動があったり。

 

赤道ギニアという名前だが、赤道は通っていない。

 

117.RC(コンゴ)  サプール

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ウィキメディアコモンズを通じEnric Bach - Flickr: Entrevista a Mangrokoto Bayayaより

共産主義であるが、DRC(後述)よりよっぽど豊かである。RCの7倍豊かな共産主義国

「サプール」とはコンゴおよびコンゴ民主で発達したファッションのこと。カラフルなブランドスーツを着た姿はかなりサマになっている。

首都ブラザヴィルは旧フランス領コンゴ(フランス領赤道アフリカ)の首都。コンゴ川に対面してDRCの首都キンシャサが存在し、共通の都市圏を形成している(双子都市)。*6

キリスト教が50%と多数派だが、土着宗教も50%に近く、非常に多い。

たいがいの共産主義国は、国名に「民主」とかつくが、ここは例外。*7

 

 

中部後編

 

118.DRC(コンゴ民主) コバルト

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コンゴは日本ではなじみのない国だが、紹介できるネタはてんこ盛りである。

表題にひとこと「コバルト」について

バッテリーなどの原料になるコバルトは世界の2/3の産出量で、最近アップルが鉱山を買い占めたことがニュースになったりしている。

首都キンシャサは人口1000万のアフリカ最大都市である。

第二次コンゴ戦争は、WW2後で最大の犠牲者を出した国であった。

旧称はザイール(画像の国旗)。ザイール川流域にある広大な盆地が領土である。

数少ないベルギーの植民地のうちの1つで(旧ベルギー領コンゴ)、1番長期間かつ最大のもの*8

なかでも初期のコンゴ自由国の時代は、国王の私的植民地のもと凄惨な植民地統治が行われた。20年で人口2000万が半分になったとも。その凄惨さが明るみに出ると、国王だったレオポルド二世はベルギー史上最も嫌われた。

その後も苦難の歴史で、何度も戦争を経験する。

それが第一次コンゴ戦争(ザイール内戦)と、第二次コンゴ戦争。とくに第二次はアフリカ対戦とも呼ばれ、第二次世界大戦のちの世界最大の被害を出した戦争である。

現在でも多様な勢力による様々な紛争が続いている。

中央アフリカ共和国に次いで世界2番目の貧困国である。

 

アフリカ赤道付近を拠点とする背の低い狩猟採集民ピグミーは、コンゴ民主共和国に多く存在する。

 

 

119.アンゴラ 歯車と鉈

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特徴的な国旗。共産主義の象徴である朱地に鎌と槌を歯車と鉈に描き換えている。個人的にセンスあると思う。

 

特徴的な国旗は共産主義のシンボルだが、「アンゴラ内戦」という歴史が関連する。

1975年にアンゴラは独立するが、その後の内戦(政府vsMPLA)は冷戦における東西陣営の代理戦争となった。*9

ただし特徴的なものとして、中国が西側陣営に味方した。結果としては、東側陣営が支援した政府側が勝利。しかし90年代に資本主義になる。

 

アンゴラの戦争が泥沼化したのは石油が出たことによる利権争いが大きな原因であった。

北の海岸沿いに小さな飛び地があり、ここは石油産出の60%以上を担う重要な場所になっている。

 

首都「ルアンダ」(ルワンダではない)は世界一物価が高い都市である。(マーサー.2017)原因は、産油国のため周辺国から労働者が殺到していて(需要の高騰)、内戦の影響のため自国産業がボロボロであること(供給の不安定)など。

 

アフリカ最大のポルトガル語圏。その昔は巨大な奴隷排出国でもあった。

 

中国資本の進出が大きく、人口の1%を占める。中国の石油輸入先の10%を占め、ロシアに次ぐ2番目の主要取引先になっている。郊外に中国企業が作った巨大な住宅群はゴーストタウンになっている。

 

 

*1:海岸地区、北部には砂漠地区とサバンナ、東部に熱帯雨林、中央部やや北に山地がある。

*2:英語とフランス語が公用語だが、英語話者は2割程度

*3:もともとの政権はキリスト教を保護していた。紛争には隣国スーダンも加わり、ムスリムの反政府勢力にスーダン政府が加わった。リビア(カダフィ)も関係してるみたい。

*4:後日東アフリカ編にて

*5:https://www.google.co.jp/amp/s/gigazine.net/amp/20111023_gabon_tropical

*6:首都が双子都市になるのは世界でもここだけ。

*7:逆に「民主」とつくDRCは資本主義国である。

*8:コンゴの他には、ルワンダブルンジといった小国と中国天津市の租界のみ

*9:アンゴラ内戦では南アフリカ民間軍事会社(エグゼクティブ・アウトカムズ)が戦争に加担していた事から、民間軍事会社が批判的に見られるきっかけになった。

世界193ヶ国をひとことで解説 ロワーギニア編

どうもさこです。

193ヶ国シリーズを久しぶりに更新します。

 

今回「ロワーギニア」と言うくくりで紹介します。

帝国主義時代の名残がのこる印象です。

これらの中で多くの国が、植民地時代からアフリカの産品を輸出する際の港としての「~コースト」という俗称を持っています。

アメリカとカリブ地域に奴隷として行った黒人の大部分は4民族(フォン・アジャ・エウェ・ガアダンビ)は、西アフリカのこの地域が多いです。

 

CFAフラン導入国(XOF)が大半で、つまり通貨はフランス式の共通のものを使ってます。

 

だいたいの国が「フフ」と呼ばれるはんぺんみたいなやつが主食。ヤムイモやキャッサバ(タピオカの原料)を原料として作るます。

 

(ロワーギニア 4カ国)

108.ガーナ アフリカ独立運動

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ウィキメディアコモンズより: 右:ケンテ衣装の生地(Bottrackerより) 右:ケンテを着たアシャンティ(ガーナ民族)の王

 

サッカーやカカオ輸出(世界2位)ではコートジボワールのライバルで、旧イギリス領のガーナ。近年経済成長率が高い。1957年に英国連邦最初の黒人独立国になり、アフリカ独立の先鞭をつける。白人支配の上で独立したローデシア南アフリカ、特殊なリベリアを除くと、サブサハラでも最初の独立。当時の首相エンクルマは世界史でも出てくる、1960年「アフリカの年」を主導した人物。アカン人(ガーナの民族)が5割弱と大部分を占める。民族衣装ケンテはイギリスの植民地独立後にできた「新しい民族衣装」で、独立と運動への誇りと国土への愛着を表している(画像)。

現在のガーナは民主国であるが、国土内の5つの民族的地域分類があり、それぞれに王がいる。

 

西アフリカには金が取れる場所が多く、特にガーナは公式にゴールドコースト植民地と呼ばれた。

 

野口英世はガーナの首都アクラで黄熱病研究に取り組み死亡した。

世界史上のガーナ王国は、現在のガーナとは全然違う場所にある(マリとセネガルのあたり)。

国民の7割がキリスト教

 

 

 

109.トーゴ 土着宗教

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土着宗教が根強い数少ない国(5割が土着宗教の信者)

首都ロメにある(ブードゥー)呪術マーケットでは、写真のような動物のミイラ等不気味なものが沢山売っている。

 

隣国ベナンとは兄弟みたいな感じ(同じアジャ族、ミナ族がいる)。ベナンと文化的民族的に近い。旧フランス領である点も近いが、トーゴはドイツ植民地であったこともある。ブードゥー教の信仰がベナンより強い。

泥でできた数階建ての住居が並ぶ「クタマク」村は世界遺産

ギニア湾沿いにガーナ・トーゴベナン・ナイジェリアに居住する「エウェ人」が最大民族だが、10%ほど。他民族国家である。

ECOWASの本拠がある。

 

 

 

110.ベナン ダホメ王国f:id:ksy302014:20190922214336p:plain

民族は4大民族がおり、フォン・アジャ・ヨルバ・バリバで3/4。

人口の1/4を占める「フォン人」はベナンに特徴的な民族。

ダホメ王国(17世紀)の支配的地位を持った民族。非常に軍事力が強く「黒いスパルタ兵」と呼ばれる*1。彼らが他部族を奴隷として貿易した、奴隷貿易で繁栄したダホメ王国専制君主の中央集権国家である*2国旗のクオリティがやばいが本物のやつで、著者が書いたものではない。

このダホメ王国が有名なのは、西アフリカやアメリカのハイチなどで広く信仰されている(信者5000万)ブードゥー教の起源があるから。その奴隷とされた代表的な民族、「アジャ族」はブードゥー教*3を始めた(諸説あり)。

17%がブードゥー教の習慣を維持している。他の伝統的宗教を合わせると50%が信仰している。ただし、日本と同じように他の宗教(キリスト・イスラム)との融合がよく見られる。

 

歴史の大まかな流れ

ポルトガル奴隷貿易→フランス植民地(フレンチダホメ)→西アフリカで唯一共産主義を採用

トーゴとともに奴隷海岸とも呼ばれた。

タレントのゾマホンベナン出身

 

 

111.ナイジェリア アフリカ1位の人口と経済

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アフリカ1の人口を誇る。石油も出て、近年南アフリカ共和国を抜いてアフリカ一の経済大国になった。

タピオカの原料となるキャッサバ芋の生産量は世界一。

ちなみに、アルジェリアとは関係ない。

主要なハウサ(イスラム)・イボ(キリスト)・ヨルバ(混合)の三大民族がいる。ヨルバは西アフリカ最大の民族である。

北東部のチャド・カメルーン国境付近ではボコハラムが勢力を持っている。

イボ人は商才に長けた民族であった。イボ族を中心としたビアフラ共和国の建国をめぐるビアフラ紛争は民間人含め150万人以上の死者を出した。特にビアフラ共和国への兵糧攻めによる飢餓は世界的に非難された。

 

ちなみに、アフリカで日本より人口が多いのはナイジェリアだけ。

 

アフロビートの発祥。

ボビーはナイジェリア出身。

映画製作数世界一。

 

面積がある方がアルジェリア。人口が多い方がナイジェリア。

 

 

 

 

*1:ほかにも女性兵士の軍団が有名で、アフリカのアマゾネスと呼ばれた。

*2:奴隷貿易は、アフリカどうしの戦争捕虜を西洋人が奴隷として買うシステムが一般的だった。

*3:ブードゥー教は、奴隷にされたこのダホメ王国の民族の伝承がキリスト教と融合したものである。ベナンでは国教になっている。特徴は、黒魔術と言われる呪術があること。

世界193ヶ国をひとことで解説 アッパーギニア編

 こんばんは、さこです。

 久しぶりのシリーズ更新になります。前回の「西アフリカ内陸編」から1箇月以上経過していしまいましたが、引き続き西アフリカの国について紹介していきます。

 

今回紹介するのは、アフリカ大陸の腰の部分にあるギニア湾の上部。

ギニア地域」*1の上部で「アッパーギニア」もしくは「上ギニア」と呼ばれます。

 

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ギニア地域」 ウィキメディアコモンズを通じてHerman Mollより取得 

 

※次回は「ロワーギニア」を解説します。 

 

 

西アフリカには様々な民族がいるが、共通の文化的特徴もある。例えば、「グリオ」と呼ばれる世襲制の伝統伝達者がおり、文字のない文化での民族音楽と伝承を継承している(歌舞伎の門みたいなもの)。以前に紹介した遊牧民族フラニ族」も、今回しばしば登場する。

また、ギニア地域の国々、特にアッパーギニアの国々は文明的な観点から「問題」を指摘されることが多い地域。例えば一昔前にエボラ出血熱の発祥となった地域とされていることなどがある。その原因として、「ブッシュミート」と言われる野生肉の常食があると言われている。そのほかにも、「女子割礼」の文化が根付いていることが多い。

 以上のようなことを前提に、「アッパーギニア」について紹介していく。

 

<アッパーギニア7か国 101.~107.>

101.セネガル アフリカの米料理

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ウィキメディアコモンズを通じMayalabeil75より取得

ニジェール川ガンビア川流域では稲作が行われ、ジョロフライス(ウォロフ族の飯)やチェブジェンといった、米料理がある。セネガル料理はアフリカで最も洗練されているとも言われ、アフリカ各地にセネガル料理店がある。

ガンビア領土を口として(後述)、顔見たいな形の国土。鼻先にあたる半島に首都ダカールがある。ダカールは旧フランス領西アフリカの首都でもあり、大西洋横断貿易の要衝となる港湾だった。とくに奴隷貿易の拠点となったことで有名で、その当時の遺物を残す「ゴレ島」は世界遺産に登録されている。現在でも、西アフリカの旧フランス植民地国が加盟する共通貨幣システム「CFAフラン(XOF)」の中央銀行があり、西アフリカにおいて主要な都市である。「世界一過酷なモータースポーツ」と言われるパリ=ダカールラリーでも有名。

「ウォロフ族」は、主にセネガルに住む民族で、セネガル人口の4割を占める。マグリブにほど近く、宗教は90%以上がイスラム教。

黒人でも特に色の黒い、スーパーブラックモデルがいる。

80年代からのカザマンス紛争は一応収束したが、外務省の渡航延期勧告は継続中。

 

102.ガンビア 川沿い

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セネガルに囲まれたミニ国家である。アフリカ大陸内で最も面積が狭い国。ガンビア川という川の川に沿って両岸を国境が引かれている、世界的にも特異な国土をしている。川の両側に国道が通り、国を一周できる。

セネガルはフランス植民地であったのに対し、ガンビアは英国植民地であったことから生まれた。イギリスからは、1番近い英語圏のアフリカの国。

マンディンカ・フラなどの多民族国家。90%がムスリム。しかし、女性の肌を隠すという考えは皆無で、多くの人が民族衣装を着ている。

首相は「医学博士総理大臣」という変わった肩書きを持つ。

15歳以下の女子割礼の割合は世界で最も高い56%。

ザンビアとは関係ない。

 

103.ギニアビサウ 旧ポルトガル領ギニア

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「隣国ギニア(後述)と似たような名前で、民族も似ているのにややこしい…」と思うが、アフリカはこういう感じのが多い。その違いは、たいていが旧植民地の宗主国が違うパターンである。旧ポルトガル領ギニア。しかし、CFAフラン導入国である。

河口のエスチュアリーになっている陸の部分と、88の諸島からなる。

ギニアビサウには産業らしいものがあまりなく、最貧国の1つになっている(ワースト13位)。人口の2/3は貧困に陥っている。強いて言うなら主要産業はカシューナッツ(世界7位)。8割が農業従事者で、輸出の8割がナッツ類である。

人口の少ないオセアニアなどの島嶼国を除くと、世界一観光客数が少ない。

1963年以降にソ連など共産圏の指示を受けつつ独立戦争を戦う。21世紀になってからもちょいちょい内戦やクーデターが発生している。治安もやや悪めなようで、南米からヨーロッパへ向かうコカインの窓口的な役割をしている。

カーボベルデ(アフリカ最終回で紹介)と仲が良く、同じ国になろうとしたこともある。

ギニアと同様、最大民族はフラニ族(1/4強)だが、次点は「バランテ族」という民族。また、諸島に住む少数民族ビジャゴ族は家母長制をとっていることで有名。ギニアと比べるとムスリムの割合が低い。

森が多い(森林率アフリカ三位)。

 

104.ギニア 西アフリカの水がめ

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画像:河の流れに注目してみてください。ギニアからいっぱい流れてる

ギニア」という言葉は西アフリカ編で死ぬほど出てくるが、国としてのギニアと区別してほしい。ちなみに、ベルベル語の「黒」という意味と言われている。

降水量が多い。ギニアから延びるニジェール川セネガル川に水を供給している、いわば西アフリカの水がめである。ギニアビサウとは対照的に旧フランス植民地であるが、CFAフランを導入していない。その背景には、サブサハラの国としてガーナに次いで早く独立した、以下のような歴史背景がある。

「アフリカの年」の2年前、1958年にフランスは各植民地に投票でフランス共同体に残留するかどうかの国民投票を決行。その時唯一植民地から唯一独立したのがギニアである。宗主国フランスはギニアへの援助を一切打ち切り、自らが作ったインフラを破壊するなどした結果最貧国に転落。同時に社会主義政権が誕生する。(現在は社会主義ではない。)

19世紀にフランスに抵抗して「サモリ帝国」を築いたアフリカの英雄、「サモリ・トゥーレ」はギニア出身である。現在もギニアの英雄で、独立時社会主義政権を立てたのも彼の孫だった。

ボーキサイト埋蔵量が世界一。アルミは輸出の5割以上を占める。

24の民族がいる。フラニ族が4割で多数派に位置する。次点でマンディンカが3割。他には海岸沿いにいるスス族。ムスリムが多数派

タレントのサンコンギニア出身。

 

105.シエラレオネ ブラッド・ダイヤモンド

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シエラレオネ半島にある小さい国。19世紀から奴隷貿易が廃止されたイギリスにおいて、違法な奴隷貿易を取り締まる拠点を設けたのが現在の首都フリータウン。イギリス植民地だったシエラレオネでは、取り締まられた解放奴隷の人口が徐々に増えていく。彼らはクレオールと呼ばれる。解放奴隷と言う意味では後述のリベリアと類似の背景がある国だが、シエラレオネは旧イギリス植民地であること、独立自体は1960年(アフリカの年)であることが違い。

映画『ブラッド・ダイヤモンド』はシエラレオネでのダイヤモンドをめぐるシエラレオネ内戦(1991〜2002)を描いた。ダイヤモンドの採掘量は世界10位と、小さな国土にしては相当な量である。とくに、漂砂鉱床のため簡単に採掘できることが特徴。そのことから、紛争ダイヤモンドが問題になる。

平均寿命は世界ワースト1(データによる)。

106.リベリア アメリカ解放奴隷の国

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画像=いらすとやで「自由」と調べると出てきたやつ

 

アメリカの解放奴隷が、各々の故郷が不明なため、用意された土地に建てたという特殊な歴史背景がある国。シエラレオネが英国植民地であったのに対し、リベリアは1847年にいち早く黒人の手で建国される。

アフリカで西洋の植民地にならなかったのはエチオピアとここだけ。革命もない、黒人のみの国。

しかしその歴史は良いことばかりでなく、アメリカからの解放奴隷は土着民と比べてエリートになり、植民地の様相を呈した。黒人が黒人を植民地にした国とも言える。80年代から90年代にかけて紛争が起こる。

植民地時代は「ペッパーコースト」と呼ばれており、辛い食べ物が多い。

GDPに対する農業生産額の割合が世界一(70%強) 。ただし経済成長は早く、最近は対外負債を一気に減らしてる

 

107.コートジボワール(IvoryCoast) カカオ輸出世界一

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歴史的には象牙(Ivory)を多く輸出しており、俗称である以上に、そもそも英語圏ではIvory Coast(アイボリーコースト)という国名で扱われている。

湿潤な気候で、国土の1/3が森林に囲まれている。75%が農業従事者。全世界の1/4のカカオはコートジボワール産であり、世界最大のカカオ生産・輸出国。

アビジャン」は西アフリカ最大の都市。1983年に遷都されて首都は違うところだが、事実上の首都機能はアビジャンが持つ。「アフリカのパリ」とも言われ、民族的なものと西洋的なものが融合したファッションショーが有名。

60以上の民族がいるが、主に4個ぐらいの民族集団に分かれ、部族による統治される。「アカン人」はガーナのアシャンティ人と親戚で、コートジボワールの最大民族(4割)。

欧米の植民地より前にムスリム商人と交流しており、イスラム教とキリスト教が普及。

独立後の初代大統領「エウェ=ボワニ」のもと1960年から70年にかけて年10%前後の経済成長を達成。西アフリカで最も豊かな国となった。しかしその後政治の混乱でやや後退する。21世紀に2度も紛争があったものの、毎年10%近くの経済成長をしている。一人当たりGDPは16万円程度だが、西アフリカでは高い方である。

ドログバの出身地。

次回紹介するガーナとは「サッカー」と「チョコレート」ではライバル関係。いずれも経済成長が早い国。ガーナが英語圏であるのに対し、コートジボワールはフランス語圏であるのは対照的。

 

 

 

 日が空きすぎたこと反省。今後はもう少し頻度を上げられたらと思います。

 何かわかりにくいことなどあればコメントくれたら嬉しいです。

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 次回は西アフリカ3回目で「ロワーギニア」の紹介をします!

*1:ギニア (地域) - Wikipedia 西アフリカでは「ギニア」という言葉は非常に何度も登場するが、この周辺地域は主に植民地時代「ギニア」と呼ばれていたことに起因する模様。また、104.で「ギニア」という国もある。